JR東日本京浜東北線 南行 初電 南浦和〜赤   羽
     〃赤羽線(埼京線) 上り 初電 赤   羽〜池   袋
東武鉄道東上線 下り 初電 池   袋〜上板橋


2003年9月21日(日)

南浦和  4:30発【401A】南行各駅停車 大船行赤   羽  4:42着
赤   羽  4:49発【440K】上り各駅停車 池袋行池   袋  4:57着
池   袋  5:05発【105】下り普通    小川町行上板橋  5:15着

※東京駅を南北に縦断する京浜東北線は「上り・下り」の表記ではなく「南行(なんこう)・北行(ほっこう)」という呼び方をする。余談だが、新宿駅を南北に縦断している埼京線は「上り・下り」という表記である。渋谷から新木場に行くのが「上り」で新宿に行くのが「下り」というのはどうもしっくりこない。


 この日は学校の文化祭の日だった。なぜこんなに早く学校に行ったのかというと、早く行けば行くだけ模型で遊べる時間が長くなるからである。もっとも、この「遊ぶ」というのは展示前の整備も含んでいるのではあるが。
 そんなわけで本当は南浦和5:10発くらいに乗ろうと思ったのであるが、このさい「どうせだ!」ということで、学校に通い始めて3年半、机上の空論でしかなかった「初電乗り継ぎ」を実行しようと思い立ったのであった。


〜京浜東北線〜
 起きたのは朝の4時。私がこんな時間に起きたのは16年の人生で初である。季節は秋の始めといえどさすがに窓の外は暗い。朝食はパンで済ませ、4:18頃家を出る。線路際に出て南浦和の駅を見ると、すでに2番線に初電は停車しているようであった。眠い目をこすりながら駅に向かって歩く。

 4:26頃駅に着いた。駅前のロータリーは真っ暗で、最近取り替えられたばかりのLED式歩行者信号機が緑色を点滅させるたびに、その光が辺り一面に散らばっていた。エスカレータはいつも通り動いている。駅の明かりも輝くほど明るいし、ちゃんと駅員さんも改札にいる。毎日毎日こんな早い時間からこの駅は動いている。私にとっては異空間ともいえるこの「時」が、休むことなく毎日続いていると思うと、妙に不思議な気分になるのであった。

 1/2番線の南行ホームへの階段を降りて、始発ホームの2番線に停車している大船行きに乗る。乗客は1車両に1人か2人であろうか。その多くは少し年をとった会社員であった。こんなに空いているのにロングシートにちょこんと座るのも惨めなので、角の席にドアとの境の壁を背もたれに座り、靴を脱いで足をその前の席の上に伸ばして「さながらクロスシート」としてみた。こうすると体を進行方向まっすぐに向けることができ、精神的にも楽である。4時30分。朝一番の発車メロディーがなった。さすがに朝早いだけあって始発電車とはいえ5,6秒でメロディーは止められ、ドアが閉まったのであった。

 2番線を発車した電車は本線に入るためにゆっくりとした速度で進む。周りも少しずつ明るくなってきた。車内放送もいつも通りであったが、その放送が車内に響き渡るということだけは違っていた。南浦和を出て約4分。蕨に停まる。ここでは意外にも一車両2,3人が乗ってきたので、さすがに足を乗せているのは恥ずかしくなり、足を下におろして斜めに座るだけにしておいた。その後西川口、川口と列車は快調に飛ばし、荒川を渡る。ここは東京都。時刻は4時40分。信じられぬような時間である。

 4時42分、赤羽到着。降りたのは1車両2,3人であろうか。気づけば乗客は1車両20人ほどに増えていた。
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京浜東北線209系
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南浦和2番線表示


〜赤羽線〜
 赤羽の長めの階段を降りて、広いコンコースに出る。ラッシュ時にはごった返すこの場所も、人はまばらである。頭上にずらりと並んだLED表示器には、「上野方面には京浜東北線をご利用ください」という表示がひっきりなしに流れていた。

 7/8番線埼京線ホームの階段を上る。ホームには見える範囲で10人近くいただろうか。上を見ると、7番線のLED表示器には「当駅始発」の赤い文字が並んでいるし、8番線のそれには「回送」の文字しかなかった。5番線を「ムーンライトえちご」が通過してほどなく、こちらにも初電の池袋行きが入線してきた。乗車するとすぐに発車したはずだが発車メロディーの記憶は曖昧で、たしか半コーラスくらいだったと思う。

 この車内でも京浜東北線のときと同じような座り方をした。前のほうに乗ったせいか、十条や板橋で乗ってきた人は皆無であった。板橋を出てしばらくはいつも通りだったのだが、池袋駅手前の2つのポイントを渡った後もう一回右へ。この電車は下りホーム4番線に直接進入する電車であったのだ。駅に着くと、この電車が折り返し下りの電車になることを告げていた。ここでは今日初めての駅員による肉声放送を聞くことが出来た。

池袋の駅でまだ4時台。何度も言うが信じられない世界である。ただこの池袋駅、さすがに都内有数のターミナル駅だけあって行き交う人の数は多く、「流石池袋」と頷けるものであった。

次に向かうのは東武東上線ホームである。
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赤羽7番線
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赤羽8番線


〜東武東上線〜
 東武東上線ホームには、中央改札から入ることにした。階段を上るとそこにはいつも通りの大きな電光掲示板が並んでいるのだが、優等列車用には全て「準急 小川町」が並んでいるなど、なかなか異様な雰囲気であった。また、向かって右の1番線と左の4番線にはパンタグラフをおろして真っ暗になっている車両があって、これから乗る2/3番線に止まった「普通 小川町行き」だけが明かりをともしていた。その車内に乗り込むとこれはびっくり、結構な人が乗っている。7人掛けの座席に5〜6人は座っている状態で、乗客の大半はやっぱり若者の朝帰り集団。こんな中制服を着て乗っているのだからとっても恥ずかしかったのではあるが、寝たふりをしてやり過ごすことにした。

 この列車、上板橋まで当然待ち合わせなど無く、ほんの10分ほどでついてしまった。乗客は大山と上板橋で降りる客、乗り続ける客で半々ぐらいであったろうか。

 こうして、上板橋の駅に無事たどり着いたわけである。
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東武池袋駅電光表示
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池袋でパンタをおろして休む8000系
〜その後〜
 駅を出るとあいにくの雨。傘をさして歩いていき、学校には5:30頃ついた。

 がっしかし!
しっかり門が閉まっていた(笑)。しかしよーく見ると、横の小さな門があいている。ここをすり抜けて下駄箱へ。ヨシッ、っと思ってドアを開けようとすると「ガンガン」。開いてない。他のドアはどうだ?と思って試してみたが結局結果は同じ。他の下駄箱は・・・。と思ったがやっぱりダメで、結局守衛さんが鍵を開けるまでの10分間、雨の中下駄箱の前で待ち続けたのであった(トホホ・・・。



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