JR東日本山田線 上り 終電川   内〜盛   岡


2004年 3月19日(金)

茂   市 18:31発【659D】上り普通 盛岡行盛   岡 20:41着


〜あらすじ〜
 試験休み中のこの日、部活の同輩と先輩6人で「三連休パス」を使って東北地方に行くことになった。
この日はその初日で、

東京〜(はやて1号)〜八戸〜(八戸線)〜久慈〜(三陸鉄道北リアス線)〜宮古〜(山田線・岩泉線)〜岩泉〜(岩泉線)〜茂市

という経路で、夕刻の茂市駅にたどり着いた。

 6人で話をしていると3時間など飛ぶように過ぎ、あっという間に八戸着。盛岡〜八戸間は初めての乗車だったが、事前に聞いていた通りトンネルばかりでおもしろくも何ともなかった。

 八戸線ではJR東日本が観光用に改造した「うみねこ」に乗車するはずだったのだが・・・ホーム上になにやら不気味な看板を発見。
「本日のうみねこ号は一般車両で運転します。」
ふざけんな金返せ!とでも言いたいところでしたが(笑)、しょうがないので乗車。はやて1号から乗り換えてくる客が多く、席は埋まり立ち客が出る程度の乗車率。
しかし、八戸市の中心である本八戸駅では大半の地元客が降りてしまい、車内は閑散。しかも乗客は観光客ばかり。
時折海を臨みながら、列車はのどかな風景の中をひた走る。が、もう少しで終点久慈というところで、
「パンッ!プシューッ・・・!」
踏切横断中のトラクターのおじさんのおかげで非常ブレーキを体験することとなりました(^_^;
皆さん、遮断機のない踏切を横断する際は十分気をつけましょう。
さて、車掌が車内にけが人のいないことを確認し、4〜5分後に運転再開。終点にもそのくらいの遅れで到着。

 久慈では発車時刻の勘違いから同行者が乗り遅れそうになり、発車ベルがなっている中発車を少し待って頂けるように、運転士にお願いするハメに。
ご迷惑をおかけ致しましたm(_ _)m
座席が埋まるほどの乗車があったが、徐々に客は降りていき、すぐに席に座ることが出来た。
しかし線路は山を長いトンネルでぶち抜いた箇所ばかり。せっかく海の間近を走っているのに風景を見る楽しみを味わえず、ちょっと残念。

 宮古では地元の海鮮料理屋でおいしい海鮮丼を頂き、大満足。
東日本最強のローカル線・岩泉線はキハ52系のデッキにあるボックス席で過ごし、ローカルを堪能。
茂市を出ると周囲に人気のない山の中を突き進む。数少ない乗客も、途中駅での乗り降りはほとんど無い。
このまま岩泉まで行くハズだったのだがっ・・・!
酔っぱらいのおじさん召喚ッ!
やったら語り出すは、酒は勧めるわ煙草は勧めるわ。
未成年ですからっっ!
そんなわけで、岩泉までの道中は最悪でした・・・。

 岩泉の駅は立派な作りで、広いロータリーまで持っていた。駅前の真っ直ぐな道は、そのまま川幅の広い小本川を渡る橋になっており、国道455号線、しいては岩泉の中心街に続いている。
せっかくなのでそちらへ行ってみると、発展した商店街あり、宿もあり、通りを行く人の姿もあり・・・。
予想とは裏腹に、なかなか発達した街で、雰囲気も良かった。是非再訪したい土地だ。

 さて、今度は静かな環境のもと、黄昏の山中を茂市へ向けて帰っていったのであった。

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三陸鉄道車両

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岩泉駅舎

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岩泉駅ホームとキハ52


〜山田線上り〜
 18時12分、日の沈んだ後の茂市駅に到着。人気のない山中に、だだっ広い構内が広がっている。
同行の方々は思い思いにバルブ撮影をしたり、駅構内を歩いてみたり・・・。時の流れが穏やかだった。
そうこうしていると、カタンカタンと列車の近づいてくる音がした。我々の乗車する659D盛岡行とこの茂市駅で行き違いをする、658D宮古行だ。
この列車の運用にはキハ52の国鉄色が入っており、すっかり暗くなった駅にほど良い味を加えている。
しばらくすると、659Dが到着。キハ58の国鉄色だ。
乗客の数はまばらで、双方似たり寄ったり。これほど「ローカル」という言葉が似合う駅もそうは無いだろう。
発車は後に到着した659Dの方が一足先。列車は盛岡へ向け一路山を登り、区界峠を目指す。

 車窓の風景は真の闇だ。外には明かり一つ無く、列車の窓からこぼれた光だけが線路脇をぼんやりと照らしている。
途中、人の乗り降りしない小駅にポツポツと停まり、19時45分区界(くざかい)駅に到着。ここは区界峠を越える目前に山中に設置された行き違い可能の駅で、CTCの無い山田線では今も駅員さんが働いている。
列車はここで12分ほど停まり、666D宮古行と行き違いをする。そう、お互いが終列車であり、両列車が無事発車すれば、区界駅の本日の業務は終了なのだ。
時間があるので、ホームに出てみる。
寒い!
尋常ではない寒さ、そして真っ暗なホームには大量の雪、雪、雪。先ほどの茂市駅とはまるで異世界だ。
十分気をつけてホームを降り、反対側のホームにある駅舎へ。駅舎は小さいながらも、中に入ると体も心も暖まった。
駅舎の中は明るく、中には写真やパンフレットが綺麗に並んでいた。そんなところからも、駅長さんの暖かさが感じられる。
対向列車が到着・発車していった後の19時57分、駅長さんの見送る中、列車は再び走り出した。

 途中、一日上下合わせて3本しか列車の停まらない、特A級の秘境駅大志田にも停車。もちろん誰も降りない。
ホームはいかにも取って付けたようなもので、駅の周囲に人家らしき明かりも見あたらない。
そういえば、夏合宿(注:2003年8月)のときに、盛岡駅で「大志田に行くには何処ですか?」って聞いてきたおばあちゃんがいたなぁ。
そう、あの時はIGR開業に備えて駅が工事中で・・・地元の方といえどわかりにくかったのでしょう。聞かれた時にはそれはそれは驚きましたよ・・・。
あのおばあちゃん、元気かなぁ。

 その大志田の次は、盛岡からここまでの区間列車もある上米内駅。駅員さんもホームに立っている。ちなみにここも、大志田駅も、盛岡市内である。
一番驚いたのは盛岡の一つ手前上盛岡駅で、乗車客が一人いたこと。見たところサラリーマンのようだ。これで私たちを除いた一般乗客数は3人に増えたわけだ。
そして、列車は南に大きく向きを変え、盛岡駅のホームに滑り込んだ。
かつて山田線の発着していた0/1番ホームはIGRに転用され、現在は東北本線のホームを間借りしている。
その肩身の狭さは、山田線の立場を象徴しているかのようで、なんだか寂しい。
がんばれ、山田線。


〜山田線〜
盛岡〜宮古間が開通したのは1934年と、比較的歴史の浅いローカル線だ。
この線を建設した時の首相は、原敬。そう、岩手県の出身。我田引鉄と思われても不思議ではない。
当時の帝国議会での答弁は、今の鉄道ファンにまで語り継がれる名文句となった。
山の中に線路を引くことに反対した野党は、
「こんな山中に鉄道を引いて、首相は猿でも乗せるつもりか?」と抗議。
しかし首相は平然とこう答えたという。
「営業規則では、列車に猿は乗せないことになっております。」
こうして、今の山田線があるのだ。
実際、建設当時は盛岡〜宮古間の直通需要は高かったようだが、今は・・・。
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茂市駅駅舎

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区界駅駅舎

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区界駅ホームにて


〜その後〜
この日は盛岡に泊まり、翌日の釜石線初電の乗車に続く。


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キハ58(国鉄色)〜茂市駅にて


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